2007年 05月 04日
※ ここは数回訪れていますが、デジカメを持っていない頃でしたので、風景写真の類いはすべて、以前の 写真をデジカメで撮り直したものです。m(__)m 竹原市忠海町の大久野島は、今では島全体が国民休暇村となり、家族連れがのんびり過ごす美しい島ですが、ここには戦前、毒ガス工場がありました。そのため北部の海岸を中心に、当時の毒ガス関係の陶製容器の破片などが無数にあって、そのあまりに無造作に散乱する光景に驚いたものでした。 初めてここを訪れたのは、陶片を拾い始めた頃でしたが、同じような形をした灰色の陶製管の破片や、常滑あたりのものか、茶色の大きな容器のカケラが浜一面に散らばり、どこの海岸でも見たことのない光景でしたので、もしや・・・と思い、島にある毒ガスの資料館などで確認したところ、やはりすべて当時の毒ガス工場のものでした。(>_<) その数と言ったら、海岸の砂の表面に無数にあるだけでもすごいのですが、ちょっと指で砂を払うと、その下にもぎょぎょっとなるほどありました。 これと同じものが、毒ガス資料館に展示されていました。 表面にKYOTO TAKAYAMA KOZAN STONEWARE とあります。 食器も、統制番号入りや国民食器など昭和のものがほとんどで、なかでもドンブリの破片が目立ちました。当時の工場の食堂と関係があるのかもしれません。この他に、ザラザラの器肌の、消砂という浮き彫り文字が残った、素焼きっぽい四角な陶器片も見たことがあります。今思うと消砂弾だったに違いなく、これは空襲の時、中に砂を詰めて投げ、焼夷弾を消すためのもので、後に気付いて悔しかったですが、あの海岸は砒素だらけだったらしいので、磁器ならまだしも、素焼きの破片を持って帰っていたら悩んだでしょうね。古い陶片を探して、いろいろな海岸を歩き回り、視線を下に向け続けていると、忘れられようとしている重い歴史と出会い、驚くことがあります。 ※1 ※1 最近、海岸を整備して陶片が見られなくなったという情報もあります。しばらく訪れていない大久野島ですが、一度行って確認してみたいと思っています。
by hikidasi1
| 2007-05-04 09:21
| 陶片窟現地ツアー
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