2007年 06月 15日
蛇の目釉剥ぎのある陶片 新しい技術が生まれると世の中の主流となり、時代を表す特徴ともなりますが、古い技術がどんなふうに消えていったかは、あまり顧みられないようです。もっとも安く、もっともたくさん作られ、どんな田舎にも入り込んだ日常の雑器には、この時代にまだこんなことが・・・というようなものがあります。海岸や川の陶片を拾っていると、そんな技術の終焉と出会います。 江戸時代、窯で焼く時に、量産のため重ね積みした器どうしが溶着しないよう、器の表面の釉薬をドーナツ状に剥いでいました。(蛇の目釉剥ぎ)大きな傷が残るこの方法は近代になると廃れますが、一部の窯では明治になっても続けられていたそうです。たくさん出てくるわけではありませんが、それでも海岸で拾い続けていると、けっこうこのタイプの陶片が集まります。 釉を剥いだ上に、何か白っぽい泥のようなものを塗った跡があります。溶着防止のためにアルミナ砂を塗ったもので、江戸後期から見られる方法だそうです。幕末のもの、江戸か明治か迷うもの、近代陶片とはっきりわかるものによく見られます。 鮮やかな合成染料の型紙摺りタイプの器にも江戸の名残りの蛇の目釉剥ぎが残っています。しかし、今まで拾った銅版転写の器には、この蛇の目釉剥ぎのあるものはありませんでした。型紙摺りタイプの流通が明治が中心だったのに対し、銅版転写は型紙摺りより少し遅れて盛んになり、明治~昭和戦前の長い期間、作られ続けています。ということは、蛇の目釉剥ぎは明治の中頃には廃れたと考えたくなります。が・・・そう簡単でもなさそうなのです。 この小皿、白くて薄くてテカテカして、もしも釉剥ぎが無かったなら、私は昭和の器だと思ってしまうかもしれません。幕末頃でも瀬戸・美濃系の器はとても器肌が薄くて白いので、ありえなわけではないですが、でも上の大きな写真の釉剥ぎ皿の裏や高台と、この皿の裏や高台を比べてみてください。他の釉剥ぎ皿の方は高台が歪んでいたり、ロクロ跡が微かに残っていたり、薄い場合でも全体的に武骨なんです。畳み付きの部分が削られている場合が多いなど、実は共通点を持つものが多いのです。ところがこの皿は違います。そのうえ釉剥ぎはとても薄くて、幅も狭いです。これは明治半ばよりも新しいのではないかしら。 これもときたま出てくる近代釉剥ぎ皿です。白磁の小皿で、釉剥ぎ部分の存在感が薄く、高台は戦時中の統制番号入りの器にでもありそうな感じです。これは明治の陶片なのでしょうか。 そして、りちょうけんさんのブログ「時のかけら~統制陶器~」で、戦時中の皿の中にも釉剥ぎ皿があることを知りました。これは衝撃でした。 実は今でも蛇の目釉剥ぎ皿はあります。民芸品店に置かれた東南アジア製の器とか、デパートで展示即売していた民芸風の焼き物で見たことがあります。ただそれは趣味性が高く、高価なものではなくても日常雑器とはやや違います。日常雑器の蛇の目釉剥ぎの終焉はいつなのか。こんな大きな傷の残る量産方法は、他のやり方が出てきたらあっという間に駆逐されてしまいそうな気がしますが、意外なほどの息の長さに、日常雑器の奥の深さを感じています。 → 近代陶片に残る古い量産技術 その2 → 近代陶片に残る古い量産技術 その3
by hikidasi1
| 2007-06-15 06:03
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