2007年 07月 11日
2007年7月現在、ここは架橋工事に伴う埋立予定地となっています。もし埋立が実行されれば、広島で有数の古い陶片が出る干潟は永遠に失われます。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
by hikidasi1
| 2007-07-11 23:57
| 陶片窟現地ツアー
2007年 07月 05日
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by hikidasi1
| 2007-07-05 22:05
| 陶片窟現地ツアー
2007年 06月 27日
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by hikidasi1
| 2007-06-27 05:57
| 陶片窟現地ツアー
2007年 06月 25日
2007年 06月 24日
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by hikidasi1
| 2007-06-24 22:37
| 陶片窟現地ツアー
2007年 05月 04日
![]() ![]() ![]() ![]() 数センチ程度の細かい陶片が多いのですが、それでもたまには、こんな18世紀のくらわんか茶碗や皿も見つかります。明治の型紙摺りタイプの碗には、よく見ると亀さんがいます。また、この川からは国鉄モノの陶片が幾つか出ています。国鉄で働いていた人が多い地域だったせいかもしれません。 ▲
by hikidasi1
| 2007-05-04 17:20
| 陶片窟現地ツアー
2007年 05月 04日
天満川は広島市中心部を流れる大きな川ですが、天満橋~広瀬橋間でたくさんの陶片を拾っています。路面電車の電停から近く、川土手は公園になっていて、とても歩きやすい場所です。 ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
by hikidasi1
| 2007-05-04 17:20
| 陶片窟現地ツアー
2007年 05月 04日
(倉橋・鹿老渡) ![]() ![]() 倉橋島は現在では橋で本土と繋がっており、私は呉駅から出るバスに乗って出かけます。倉橋は陶片のありそうな良い干潟だらけの素晴らしい土地ですが、車を運転しない私にとっては、一番奥の鹿老渡までのバスの便が少ないため、幾つもの干潟をハシゴすることができないのが残念です。 ![]() 17世紀の唐津、18~19世紀の江戸モノ、明治~昭和戦前の手描き、型紙摺り、銅版転写の器など ![]() ![]() 鹿老渡は倉橋島の先端部で、橋でその先の小島、鹿島と繋がっています。ここは江戸時代、風待ち潮待ちの港として栄えた場所で、そのためか広島では今のところ宮島と鞆でしか出ていない、砂目跡のある古い唐津の破片を拾っています。陶片もそこそこありましたが、去年訪れた時は波打ち際に妙に砂が多く、せっかくの陶片が埋まったような状態になっていました。今年の状態が気になるところです。 (倉橋・桂ヶ浜) 桂ヶ浜とその陶片(江戸モノ、明治~昭和戦前の手描き、型紙摺り、銅版転写の器、戸車など) ![]() ![]() ![]() (大崎下島、御手洗、大長) ![]() (幕末の瀬戸美濃系の蓋、明治~昭和戦前の手描き、型紙摺り、銅版転写の器、戦時中の統制番号皿) 大崎下島にも、江戸時代に風待ち潮待ちの港として栄えた御手洗地区があり、当時の町並みも残っていますが、かつての海岸線は埋め立てられていました。住んでいる方の話では、埋立前は不燃物の捨て場のような場所もあり、そこでは貝を掘るのに邪魔になるほど陶片があったそうで残念です。僅かに、かつて小さな河口だったらしい痕跡のある場所から幕末の陶片を拾っています。 今では御手洗よりも、同じ大崎下島の大長港周辺の方が陶片は拾えるようです。港近くの、川のように細く入りこんだ海岸の両側には家が密集していますが、その下に陶片だらけの狭い干潟が続いていました。あまり古いものはありませんでしたが、保存状態は悪くなくて、少しですが、幕末モノや近代の印判、戦時中の統制番号入りも拾いました。 ▲
by hikidasi1
| 2007-05-04 09:21
| 陶片窟現地ツアー
2007年 05月 04日
※ ここは数回訪れていますが、デジカメを持っていない頃でしたので、風景写真の類いはすべて、以前の 写真をデジカメで撮り直したものです。m(__)m ![]() 竹原市忠海町の大久野島は、今では島全体が国民休暇村となり、家族連れがのんびり過ごす美しい島ですが、ここには戦前、毒ガス工場がありました。そのため北部の海岸を中心に、当時の毒ガス関係の陶製容器の破片などが無数にあって、そのあまりに無造作に散乱する光景に驚いたものでした。 ![]() ![]() 初めてここを訪れたのは、陶片を拾い始めた頃でしたが、同じような形をした灰色の陶製管の破片や、常滑あたりのものか、茶色の大きな容器のカケラが浜一面に散らばり、どこの海岸でも見たことのない光景でしたので、もしや・・・と思い、島にある毒ガスの資料館などで確認したところ、やはりすべて当時の毒ガス工場のものでした。(>_<) その数と言ったら、海岸の砂の表面に無数にあるだけでもすごいのですが、ちょっと指で砂を払うと、その下にもぎょぎょっとなるほどありました。 ![]() これと同じものが、毒ガス資料館に展示されていました。 表面にKYOTO TAKAYAMA KOZAN STONEWARE とあります。 ![]() ![]() 食器も、統制番号入りや国民食器など昭和のものがほとんどで、なかでもドンブリの破片が目立ちました。当時の工場の食堂と関係があるのかもしれません。この他に、ザラザラの器肌の、消砂という浮き彫り文字が残った、素焼きっぽい四角な陶器片も見たことがあります。今思うと消砂弾だったに違いなく、これは空襲の時、中に砂を詰めて投げ、焼夷弾を消すためのもので、後に気付いて悔しかったですが、あの海岸は砒素だらけだったらしいので、磁器ならまだしも、素焼きの破片を持って帰っていたら悩んだでしょうね。古い陶片を探して、いろいろな海岸を歩き回り、視線を下に向け続けていると、忘れられようとしている重い歴史と出会い、驚くことがあります。 ※1 ※1 最近、海岸を整備して陶片が見られなくなったという情報もあります。しばらく訪れていない大久野島ですが、一度行って確認してみたいと思っています。 ▲
by hikidasi1
| 2007-05-04 09:21
| 陶片窟現地ツアー
2007年 05月 04日
広島市に隣接する安芸郡海田町は海に面した町ですが、海田湾周辺は完全に埋め立てられて、良い干潟などはありませんが、それでも河口付近は、干潮時にはかなり奥まで水が引き、川床が現れます。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
by hikidasi1
| 2007-05-04 09:21
| 陶片窟現地ツアー
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